海苔ささみピザパン

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傲慢

 片足の指のない鳩を見たことがある。

 京都のとある街中を歩いていると、道路の真ん中をフラフラと歩く小ぶりの鳩を見かけた。近付いても全く逃げようとせず、初めのうちは何て能天気な鳩なんだろうと半ば呆れていたのだが、よく見るとその鳩の片足には指が無かった。日記によれば、2017年の9月23日の出来事である。以下にその日記の文章を抜粋して引用する。

 

左足の指の無い鳩を見た。事故でそうなったのか先天的なものなのかは分からないが、一般的な鳩よりも一回り小さかったので、充分に餌を食べられていないのだろうと思った。指がないとしっかりと踏ん張れないのだろうか、しばらく見ていたが車が来ても人が来ても飛び立つことはなくよろよろと歩き回るだけだった。

 

 その様は私の脳裏に焼き付き、2年経った今になっても路上で鳩を見かける度にその鳩のことを思い出す。

 

 

 そして時は流れて今年、2019年の7月中頃、その片足の指のない鳩を強く想起させる出来事があった。

 季節は梅雨真っ只中で、その日もしとしとと雨が降っていた。傘を差し、大学の構内を昼食を調達すべく食堂へと向かっていた私は、足元に何か茶色っぽい物体が落ちていることに気付いた。立ち止まって見てみると、それは蝉の死骸であった。その濡れそぼった昆虫の死骸を眺めていると、私の頭にふとある考えが浮かんだ。この蝉は、太陽を知っていたのだろうか。ここ1ヶ月ほどは梅雨のためほぼ毎日天気が悪く、ここ1週間に至っては連日雨である。もしこの蝉がその生の中で陽光を知らなかったとしたら。そんなことを考えながら私はその場を離れて食堂の方面へと歩き出したのだが、仰向けになった小さな死骸のイメージは頭から離れず、また、2年前に見た指のない鳩のことを思い出さずにはいられなかった。

 

 飛べない鳩と、太陽を知らなかったかもしれない蝉。彼らのことを私はずっと忘れられないかもしれない。この先も、鳩を見る度に、蝉の声を聞く度に、彼らのことを思い出してこんな感情に胸が支配されるのだろう。それが傲慢だと、理解しているのに。