海苔ささみピザパン

いろいろです Twitter@kame_kau

お別れ会

 5年間働いた職場のみんなが、私のためにお別れ会を開いてくれた。良くしてくれた同僚や先輩のみんながたくさん来てくれた。寄せ書きの色紙をくれた。みんな私のことを一瞬であっても考えてくれて、(私はこの手のものを書くのがとても苦手なので分かるのだが)多少なりとも苦労して感謝とお別れの言葉を書いてくれていた。

 飲み会の間、そして帰路、帰宅して色紙を読むまで、私は幸せな気持ちで満たされていた。楽しかった。嬉しかった。感激した。しかし、色紙を読み終わった今、なぜだろうか、すごくムカつく。腹立たしい。なんだろう、こんな気持ちになるとは思ってもみなかった。このお別れの寄せ書きという文化は本当にクソなんじゃないだろうか。こんな気持ちになってしまっている私は、みんなが書いてくれているように優しくて頑張り屋の人間などではない。こんなの嫌だ。いや、私は確かにいつも笑顔であった。私は確かに誰にでも優しかった。それは自負するところである。しかし……、しかし……、私はやはり、決して誰にも注目されたくないのだろう。私は、やはり病的なのだろうか。大好きな大阪(第二の故郷とまで思っている)、大好なみんなのもとを離れるというのに、この色紙は燃えるゴミにでも捨てて行きたいと思っている。なぜこんな、私はなぜこんな人間なのだろう。

 私はまだ、ここまで来ても自意識を自分のものにできていないというのか。私を見ないでほしい。

 みんなおめでとうありがとうって言ってくれてるよ。

「生活の行為」の必要性

 洗濯物を仕分けして洗うこと、布団を干すこと、カーテンを開けること、そういった細かな「生活の行為」の必要性が、最近やっと分かってきた。
 私の空っぽな生活の器が徐々に満たされていくのは安心感がある。

 

 私にとって生活が重要でないことは変わらないのだが、しかし生活は日々の多くを占めている。重要でないからこそ、それを「そこそこにやり過ごす」能力が身に付いたことは喜ばしい。

 

 掃除機とか、やる意味分からなかったら絶対やらないです。やりたくないもん。掃除する「必要がある」ことが実感できたからこそ、やりたくないけど「そこそこ」やってます。やらなきゃダメだから。

 やりたくなくても、ご飯食べないと動けないし、寝ないと眠いし、服着ないと寒いです。生活の中で、やりたくないけどやらないと困るしなあ、と感じる範囲がどんどん広がって、生活の空虚が「そこそこ」埋まればいいなあと思います。

個人的な感覚

 人のことは知りたいけど自分のことは一切知られたくない、という感覚があります。

 

 最近は大江健三郎の小説をいくつか読みました。大江健三郎は、愛媛県の山間に生まれ、大学受験をきっかけに上京した経歴を持っています。また私も、高知県の山間に生まれ、大学進学をきっかけに大阪に転居して来ました。

 しばしば大江健三郎の作品の舞台となる“谷間の村”は、私の出身地にとてもよく似ています。しかし、ここではその類似についてではなく、大江の作品を読むにつれて言語化し得た、私自身の個人的な感覚について書くつもりです。

 したがって、この文章は日記やエッセイのようなものとして読んでいただければ嬉しいです。また、大江の作品を読む上での“四国の山間部出身者の精神性”の参考にしてくださる方がいたら、本当に本当に喜ばしく思います。

 

 私はとても“恥ずかしがり”です。自分や他人のエピソード(出来事)について話すのは得意ですが、自分の考え、特に真面目な考えを話すのは恥ずかしくてほとんどできません。自分が“恥ずかしい”と感じることを話すときは、発言の末尾を逆説の接続詞でもって濁すように終えてしまいます。例えば、大阪出身者が「○○やと思うねんな」と言うところを、四国の山間部出身者かつエセ関西弁話者である私は「○○やと思うねんけど」と言って終わらせてしまいます。これは大江の作品内で“谷間の村”の住民が「○○ですが!」と言うのと同じであり、高知県の方言では「○○ながやけど」と言います。

 一方で、私は他人の意思や言動にとても興味があります。この興味は、対象となる他人とその状況が私自身から遠ければ遠いほど強くなります。これは俗に言う“噂好き”という性質です。私はかつてこの性質を軽蔑しており、自分はそんな悪趣味な人間ではないと信じていましたが、今では自分自身にこの性質が多分に備わっていることを認めています(軽蔑すべき性質かどうか、という点については保留しています)。

 

 “恥ずかしがり”と“噂好き”という2つの性質によって私の対人態度の傾向は決定づけられている、と最近は考えています。

 自分の意見は表明せず(できず)、自身に関わりのない噂話の収集に執念を燃やす……と言っては悪いことばかりのようですが、上手くやれば“思慮深い”とか“物知り”という風に褒めてもらえることもあります(インターネットが普及した昨今、噂話に対する好奇心はゴシップだけでなく様々な分野の情報へと手軽に発散することも可能です)。

 そして、対人態度に関して私が抱えている困りごとのひとつに、集団の中で自分の考えを上手く表明できない、ということがあります。これを克服するために“恥ずかしがり”を乗り越えることが目下の課題です。

『スマイル』

  今朝の話です。

 7時40分、私はバイト先へ向かうために家を出ました。昨夜は3時頃まで寝付けませんでした。7時20分になんとかベッドから這い出て、半開きの目で洗顔、着替え、化粧もそこそこに玄関へ。冷蔵庫からひっつかんで来たウィダーインゼリーを気合いで飲み込みながらマンションのエントランスを出ました。

 この時間帯は小中高生の通学時間と重なります。大小さまざまなかたまりとなった学生たちは、淀みながらも毎日決まった方向へと流れて行くのでした。

 私は3〜4人の女子高生らしき集団とすれ違いました。彼女らは声を合わせて歌いながら歩いていました。

 

いつでもスマイルしようね

とんでもないことがおきてもさあ

かわいくスマイルしててね

なんでもない顔してでかけりゃいいのさ

 

 ……と。ホフディランのスマイルという曲です。最近若い女優さんがカバーしたので、それで知っているのだろうと思いました。ひとかたまりの女生徒たちは、正確な半径を保ちながら、そしてやはり時たま淀みながらも、私の方へと近付いて来ます。

 その歌声は私の感情を大きく揺さぶりました。彼女らだけを包んだ透明で巨大な泡(あわ)が……と、そこまで考えたところで彼女らは私の横を通り抜け、歌声は後方へと遠ざかって行きました。

 

ねぇ 笑ってくれよ

キミは悪くないよ

 

 ……。

 

 未だ光の宿らぬ寝起きの眼を引きずりながら、私は朝の挨拶の脳内シミュレーションを開始していました。

 おはようございます、おはようございます、おはようございます…

 

 

(スマイル/歌 森七菜/作詞作曲 渡辺慎

https://youtu.be/v7BY5m2wYx4

知ることによって

 私は、20歳になったばかりの頃、アホのようにお酒を飲んでいました。バイト終わりにコンビニで200ml入りのウィスキーを買ってきて、それを氷も何もなしに1/3ずつコップに注いで、一気飲みしていました。

 私はお酒に強く、そんな飲み方をしてもせいぜい楽しくなってゲラゲラ笑って寝るくらいで、次の日にはケロっとしていました。ひとり暮らしの家で深夜にゲラゲラ笑っている時点で尋常ではないと、今では思っています。

 そんな飲み方を辞めたのは、ある知人に「それ普通に急性アルコール中毒で死ぬやつだよ」と注意されたことがきっかけです。私は、本当にそう言われるまでは急性アルコール中毒のキの字も思い浮かべたことはなく、お酒を飲みすぎたら死ぬことがあると知識では知っていたものの、まさか自分の行為がそのような危険性を持つものだとは想像もしていませんでした。私は大変な衝撃を受け、そして死ぬのが怖くなったため、ウィスキーの一気飲みを辞めました。

 

 また、私は保育園児だった頃、ジャングルジムに登るのが好きでした。ジャングルジムのてっぺんに何の支えもなしで立ち上がるのが、特に好きでした。でも、今はもうそんなことは出来ません。それは、私が「そんなことをすれば落ちるかもしれない」「落ちたらただではすまない」ということを知ってしまったからだ、と思います。保育園児だった頃の私は、自分がジャングルジムのてっぺんから落ちる可能性なんて微塵も考えていませんでした。だからこそあんなに上手にバランスが取れたのでしょう。大人になった今、同じことをすれば、少しでも「落ちるかもしれない」という恐怖が頭をよぎった瞬間に、本当に落ちてしまうのではないかと思います。そして、落ちることが怖くて、私はもうジャングルジムのてっぺんに立つなんてアホなことは初めからできないのです。

 

 お酒もそれと同じです。死ぬかもしれないという恐怖が頭をよぎったその瞬間に、本当に血中アルコール濃度が急上昇して死んでしまうのではないかと思います。それが怖いので、私はあんなアホなことはもうしないつもりです。

 あのときに「死ぬよ」と教えてくれて、アホな飲酒をやめるきっかけを与えてくれた知人には本当に感謝しています。死ぬ可能性を知っても知らなくても、いつまでも続けていたら絶対にいずれは死んでしまうような行為でしたから……。

 

 この2つのエピソードから、私は、知るということは人を不可逆的に変える力があるんだなあとしみじみ思います。成長とか、そういう言葉でも表せるのかもしれません。

 とは言え、ジャングルジムのてっぺんに立つことに関しては、いつかまたチャレンジしてみたいという気持ちが実のところ拭いきれません。仮に落ちてもきっとまあ死にはしないでしょう。しかしこの楽観的観測も、知ることによって今後覆るかもしれませんが。

風の谷のナウシカ感想

死は生と、罪は聖と、賢は愚と見える。いっさいはそうなければならない。いっさいはただ私の賛意、私の好意、愛のこもった同意を必要とするだけだ。そうすれば、いっさいは私にとってよくなり、私をそこなうことは決してありえない。(ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』より)

 

 ナウシカはなぜ王蟲を鎮めることができたのだろうか。それは「お話をしたから」であると思う。

 ナウシカは作中で多種多様な他者と対話をしている。しかし、どんな場合であっても、コミュニケーションの主体は自分自身であるのだ。ナウシカは決して他者を理解するためにコミュニケートしない。自身の意思を相手に伝えることのみに終始している。ここで重要なのは、その態度と友愛・慈愛の心は両立し得るということだ。目の前の相手を個別に思いやり、自らの意思を伝えるために手段を選択して(ナウシカは子供と話す際には砕けた口調で話し、ムシと話す際はムシブエなどの道具も使う)語りかける、これを愛と呼ばない理由などどこにもありはしない。

 ナウシカにとって、他者は等しい。等しいからこそ、コミュニケートする際の手段は異なる。ナウシカはそういった点において誰よりも優れた個なのだと思った。

翼よ!あれが通天閣の灯だ

 最近、道行く人が私を見ているような気がしていた。実際私は、先天性の障害によって左腕が不自由で、挙動不審で、声も少し変だ。だから知らない人も私を気持ち悪いと思って見ているのかもしれない。そう思った。

 昔からの友人には、実際君は目立っているよ、と笑いながら言われた。

 しばらくそのことで悩んだ。外に出るのが嫌になりかけもした。しかし、思い返してみれば、私が奇異の視線に晒されているのは何もここ最近だけにとどまらないじゃないか?物心ついた頃からずっと、みんなが当たり前にできることができなかった。その都度、疎外され、外野から見学した。そして、自分の納得できる範囲で、改善可能なものは改め、そうでないものは開き直ってやり過ごしてきたではないか?

 私は何のために都会に出てきたのか?たった今私をちらと見た、ような気がする、その見ず知らずの人。それが何だというのか。もうとっくにすれ違って遠くに行き、顔も覚えていない。この土地では、私は、どこにでも行けるのだった。私は通行人Aになりたくてここに来た。あの人が実際に私を見たとして、そして「キモ」とでも思ったとして、それでもまだなお私の匿名性は守られているのだ。

 嬉しくなった。街には無数の灯がともっている。私はその辺に大量にいる知らねえやつらが本当に死ぬほどどうでも良いと思った。明日からも、私たちは行きたいところへ行くはずだ。