海苔ささみピザパン

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風の谷のナウシカ感想

死は生と、罪は聖と、賢は愚と見える。いっさいはそうなければならない。いっさいはただ私の賛意、私の好意、愛のこもった同意を必要とするだけだ。そうすれば、いっさいは私にとってよくなり、私をそこなうことは決してありえない。(ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』より)

 

 ナウシカはなぜ王蟲を鎮めることができたのだろうか。それは「お話をしたから」であると思う。

 ナウシカは作中で多種多様な他者と対話をしている。しかし、どんな場合であっても、コミュニケーションの主体は自分自身であるのだ。ナウシカは決して他者を理解するためにコミュニケートしない。自身の意思を相手に伝えることのみに終始している。ここで重要なのは、その態度と友愛・慈愛の心は両立し得るということだ。目の前の相手を個別に思いやり、自らの意思を伝えるために手段を選択して(ナウシカは子供と話す際には砕けた口調で話し、ムシと話す際はムシブエなどの道具も使う)語りかける、これを愛と呼ばない理由などどこにもありはしない。

 ナウシカにとって、他者は等しい。等しいからこそ、コミュニケートする際の手段は異なる。ナウシカはそういった点において誰よりも優れた個なのだと思った。